ブッダの生涯を追いかけて Looking for a Life of the BUDDHA

ティラウラコット Tilaurakt

ティラウラコットは、ブッダの故郷のカピラヴァストゥの候補地の一つで、ルンビニーから24kmほど西北西にあります。
このカピラ城に、釈迦族の王であスッドーダナ(浄飯)王と摩耶夫人が住んでいました。摩耶夫人がブッダを生んだ後、すぐ亡くなられたので、ブッダは、摩耶夫人の妹のマハー・パージャーパティにより育てられました。
16歳の時、ヤソーダラ妃と結婚し、1子ラーフラをもうけましたが、後に、皆出家させてしまいました。
ブッダは、出家するまでの29年間、このカピラ城で何不自由ない暮らしをしていましたが、外の世界に、病、老、死、修行の世界があることに気づき(四門出遊)、出家を決意したといいます。

出家の際は、夜半に、召使いのチャンナに白馬カン高を引かせ出城し、十分遠くに着いてから、チャンナとカンタカは、カピラ城に帰したといいます。

ティラウラコット入り口にあった案内板です。
南北500m、東西約450mの塁壁に囲まれた城塞遺跡です。
Western Gateway。
敷地入り口近くの西門跡。
塁壁につながっていることはわかりますが、元の姿を想像するのは、難しいです。
西門の続く、類壁跡。
Central Complex
様々な建て物があったことがわかります。
これは、敷地中央部にあった建て物跡。
建て物跡が数多く発掘されています。
井戸の跡でしょうか。
敷地内にヒンドゥ教の寺院があり、不気味な音楽を奏でていました。
この場所は、摩耶夫人が祈りを捧げていた場所といいます。
敷地内に冬、夏、雨季用の3つの宮殿がありました。
宮殿の暮らしぶりは、アジャンタの壁画に描かれています。
Eastern Gateway。
東門の跡。
東門の脇では、発掘が行われていました。
発掘というよりは、乱暴な復元工事という感じで、ちょっと心配な感じもしましたが、発掘を指導している方が、仏像が見つかったと教えてくれました。
東門跡から、城の外を見たところ。
ブッダ(正確には、まだ悟りを開いていないのでシッダールタ)は、どういう気持ちで、この城を出て行ったのでしょうか。
Twin Stupas
塁壁の北のはじに15.6mと、7.8mの仏塔跡があります。
直接歩いて行くことはできず、一旦入り口に戻ってから行くことにしましたが、行く道が細く、対向車も来るので、ずいぶん遠回りをして行きました。
大きい仏塔が、スッドーダナ王のもので、小さい仏塔が摩耶夫人のものと伝えられています。