エレファンタ島は、ムンバイ港から、船で一時間ぐらいのところにあります。 16世紀に、当時ムンバイを支配していたポルトガル人がガーラプリ島と呼ばれていたこの小島に上陸し、これらの巨大な石窟の像を発見しました。この石像群は、6~8世紀に作られたものと考えられています。 今は、七窟が残っています。ヒンドゥ教を異教とするポルトガル人にほとんど破壊されたため、保存状態はいいとは言えませんが、ムンバイから気軽に行けるということと、船から、ムンバイを眺めることもできるということで、お勧めのスポットです。 これは、出航時に、船から見たタージ・マハル・ホテルです。朝陽に輝き、美しいです。 |
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ムンバイ港には、産業用の施設が多く見られます。 これは、タンカーから原油を積み出す施設でしょうか。 |
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島に着くと、おもちゃのような機関車が迎えてくれます。船着き場から、島まで、長い桟橋になっており、その間、歩くのが面倒くさい人は乗ってみましょう。私は、乗りませんでした。 ちなみに後ろに見えているのが、乗って来た船です。 |
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桟橋を渡った後、高さ約200m(階段約千段)の小山を登って行きます。土産物屋が両側に並んでいますが、朝だったので、まだ閉まっている店が多かったです。。 そして、7つの石窟寺院を訪れますが、石像が残っているのは、第一窟のシヴァ寺院のみです。 エレファンタ島の名は、最初発見された時、象の彫刻があったことに由来しますが、象の彫刻は、ムンバイの博物館に置かれているそうでした。 これは舞踏王ナタラージャの姿をしたシヴァ像ですが、その大きさと、躍動感に驚かされます。痛みは、激しいですが、シヴァ神の動きと、周囲の彫刻の繊細さに、見入ってしまいます。 この躍動感は、エローラの像とよく似ています。 |
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第一窟は、高さ6mほど、周囲30mほどの正方形をした列柱ホールになっています。 中央に聖室があり、聖室には、四方に入り口を有しています。 シヴァ神のいろんな姿の浮き彫りが、各所に掘り込まれています。 |
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これもシヴァ神です。 何の情景を表現したものなのでしょうか。 |
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これが、エレファンタ島で最も有名な三面のシヴァ神の胸像です。 シヴァ神の多様性を表すとされ、正面のシヴァ神は、瞑想しているようであり、右は、女性的な守護者、左は、凶暴な破壊神を表しています。 中央が、ヴィシュヌ神、右がブラフマー神、左がシヴァ神という説もあります。 高さが5.5mほどあり、その巨大さにも驚かされます。 この三面像は、キリスト教の三位一体を連想させたため、この石窟のみポルトガル人による破壊を免れたと言われています。 |
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これは、シヴァ神とパールヴァティとの婚礼の様子を表したレリーフでしょうか。GANGADHAR SIVA との説明書きがありましたが。 |
アウダナーリーシュヴァラ(ARDHANARISHVARA)像です。 体の左側が女性で、右側が男性の、両性具有のシヴァ神で、周囲の彫刻も見事です。 |
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列柱ホールの奥に、聖室があります。その中には、シヴァ神の象徴であるリンガ(男根)が祀られています。入り口の両脇には、ドゥヴァーラパーラ(護衛神)がいます。 | |
この入り口には、狛獅子がいました。本当のガードマンもいます。 | |
列柱は、クッション型の柱頭を有しています。 但し、彫刻はほとんどなく、未完成のものと思われます。 エローラの石窟寺院の柱ともよく似ています。 |
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この像も比較的よく残っていました。飛天達の姿も見えます。 瞑想をしているところでしょうか。 |
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その他の石窟もありますが、かなり破壊が進んでしまっています。 インド人もがっかりです。 |
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かろうじてリンガはありますが、その他はほとんど崩落しています。 明らかに未完成の石窟もあります。 |
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島の頂上には、360度回転できる砲身が残されていました。 エレファンタ島は、ムンバイ湾の入り口にあり、国防上重要な場所になるのでしょう。 |
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島からの帰りに見た、石油コンビナートと思われる施設です。 | |
ムンバイ湾の遠景です。 | |
海軍の基地もあるようで、戦艦も泊まっていました。 本当は、撮影禁止らしいです。 |
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ムンバイ湾に戻って来ました。 タージ・マハル・ホテル、インド門が並んでいます。 手前には、小さな観光船が、所狭しと停泊しています。私の乗った船は、もう少し大きい船でした。 |