西蔵七日  SEVEN DAYS IN TIBET

第一日 (Day 1)

今回の旅行は、旅行社にお任せだった。地場最大手のチャンブラザースを通じて、申し込み(SARSの時に準大手まで結構潰れたので、旅行エージェントは、やはり大手に限る)。地場だと、中国語ガイドが基本のようで、英語ガイドが見つからなくて、最後まで、なかなか決まらなかったが、英語ガイドが見つかってからは、慣れたもので、あっという間に出発となった。山登りが病みつきの同僚に、高山病のことを聞き、生まれて初めて旅行保険なるものに入ったが、結局”お守り”になっただけ。ただ、チベットは、アジアの中では、一番保険料が高いことを知る。

初日は、中国の四川省 ( Sichuan) の省都である成都 ( Chengdu ) への移動。シンガポールからは、4時間半。シルクエアー(シンガポール航空の子会社)のダイレクト便もあるが、安いツアーゆえ、チャイナエアーのダイレクト便。スチュアーデスに片言の日本語を話す人もいて(さかな?、にく?程度)、国際化が進む中国の一端を見た思いをする。

成都は、人口1000万の大都市で、三国志 で有名な劉備が1800年前に、ここに蜀漢 ( Shu Han ) を建国。今は、近代的なビルも多い大都会だが、町の所々に、歴史を感じさせる史跡が残されている。とにかく人、車の多さと、延々と続く町並みには圧倒される。

飛行場は、市の南30分くらいのところにあるが、国際線のターミナルは、小さくてぼろい。それに比べ、隣の(徒歩10分、タクシーでもぐるっと回るので、それくらいか)、国内線ターミナルの方は、やたらに立派で、近代的。中国各地に行く人で溢れかえっている。

迎えのガイドがいたものの、中国語のガイドが出てきて(早速手配違い)、慌てて英語ガイドを探す羽目に。そこで、出てきたのは、金(キム)さんという人。朝鮮族で、四川の大学で、日本語を学び、今は、中国語、韓国語、日本語を駆使し、通訳をしている。大陸の人は、たくましい。みかけも、若いのに肝っ玉母さんの雰囲気を既にかもし出している。結局英語ガイドの予定が、日本語ガイドになった。中国の人は、いくら簡単な英語(たとえば、”One”とか”Go”)でも、拒否反応を示す人が多く、やむない場合は、漢字での筆談に限る。これは、日本人の特権。ただし、今は簡体字が使われているので、固有名詞(ホテルの名前、見たい場所など)は、事前にメモを用意しておいた方がいい。メモがあれば、タクシーでも何ら問題はなかった。キムさんによれば、成都は、中国の大都市の中では、物価も安く、気候も安定しており一番住みやすい町とのことである。また、曇りの日がほとんどで、色白の人が多いのだそうである。雪は見たことがないということなので、たぶん降らないのだろう。

まずは、武侯祠 ( Wuhou Temple ) へ。武侯祠は、成都一の観光地。三国志 ( History of the Three Kingdoms ) の武将達が祀られている。最初、5世紀に、劉備を祀った昭烈祠が建てられ、その後、隣に諸葛孔明 ( Zhuge Liang ) を祀った武侯祠が建てられ、14世紀に合併され、漢昭烈廟 ( The Han Zhaolie Temple ) となったものだが、結局武侯祠が通り名になったもの。少々ややこしい。
漢昭烈廟の額がある大門をくぐると、諸葛孔明の業績を称えて唐代 ( Tang Dynasty ) に作られた碑が右側にある。その文章、書法、彫りの全てがすばらしく、”三絶” ( Three Wonders ) と称えられている。確かに、書道の手本のように、きれいに、美しく漢字が並んでいる。

その先に二門があるが、そこをくぐると、南宋 ( Sothern Song Dynasty ) の名将岳飛 ( Yue Fei ) の出陣の書を石に刻んだもの ( Memorials on Going to War ) が飾られている。この文字は、ややくずれた書体になっている。その先の左右に、28人の文官、武官の塑像が並んでいる。清の時代に作られたもので、各々の名前と業績が記されている。孫権など知っている名前もある。



その先に劉備殿 (Liu Bei Temple ) があり、劉備 (左、 Liu Bei )、関羽 (中央、 Guan Yu )、張飛 (右、 Zhang Fei ) の塑像が祀られている。いずれも清の時代 ( Qing Dynasty ) の17〜18世紀に作られたものだが、人物の特徴を誇張しながらもリアルにとらえた見事なものである。やはり劉備が一番どっしりした感じで作られている。張飛は、いかにも強そうだ。



その奥に、武侯祠がある。主君である劉備に敬意を表すため、一段低い位置に建てられている。正面に諸葛孔明の像、左右に子、孫の像が奉られている。ただし、子孫は、大したことはなかったらしい。諸葛孔明の像は、17世紀に作られたものだが、いかにも知的な、戦略家の雰囲気がにじみ出ている。手に持った羽の団扇みたいなものはトレードマークで、土産物屋で売られている。また、屋根には、孔明を慕って、神々が訪れている。屋根の上に乗っている装飾も面白い。上に飾られている額にある”名垂宇宙” ( Fame of Eternity ) のテーマも壮大である。



その先の庭を抜けると、三義廟 ( Three Heroes Temple ) がある。ここにも劉備、関羽、張飛が祀られている。三国史は、この3人が出会い、桃園結義と呼ばれる義兄弟の契り ( Brotherhood in the Peach Garden ) を184年に結んだところから始まるのである。諸葛孔明の金色のお守り(諸葛亮的知恵符)が10元で売られているが、自分名前の漢字が書かれているものを、選んで買っている。なかなかの人気である。知将にあやかりたいというのは、よくわかる。前には、花崗岩に、三国志に由来する場面を彫った石碑が、並んでいる。中国人に三国志がいかに人気があるかを、体感した。



その奥に劉備の墓がある。朱色の壁の小道を歩いていくが、竹の緑との対比が美しい。また、瓦のデザインが変わっている(こうもりのデザインらしい)。神獣と文官が並ぶ小道を抜けると劉備の墓の恵陵に到着だ。小山のお墓で、周りを一周できるが、中には入れない。



最後に、三国文化博物館を訪れた。発掘物の展示から、当時の生活を説明するコーナーもあり、大きくはないが、コンパクトによくまとまっている。発掘物の展示では、当時の生活や、祭りの様子を表した像が楽しい。



車で、ちょっと行ったところに、この日のもうひとつのハイライトである杜甫草堂 ( Thatched Cottage of Du Fu ) がある。杜甫 ( Du Fu ) は、唐時代の詩人で ”国破れて山河あり。城春にして草木深し” とか ”古希” など、日本でもおなじみである。もともと下級官僚であったが、安史の大乱で当時の玄宗皇帝と楊貴妃が失脚し、杜甫も軟禁された後、逃げ出して放浪の身となり、48歳の時から、ここで5年間をすごし(8世紀中頃)、200編以上の詩を残した。当時の建物が残っているわけではなく、杜甫が住んでいた所を中心とした大きな公園といった方が、ぴったりする。ここも、宋から清の時代の長年にかけて、整備されたようである。



中に入ると、まさに市民の憩いの場である。公園のそこかしこに、著名と思われる芸術家が作った杜甫をテーマにした像が、飾られている。緑が深く(パンダの里にふさわしく竹が多い)、季節柄、蝉がうるさいくらい鳴いている。草堂は、かつて杜甫が住んでいた庵の隣に建て直されたものとのことであるが、特に感動するというほどのものではない。大雅堂という建物があり、ここを訪れた人の写真や、中国の有名な詩人の像と説明、中国の有名な詩をテーマにした大きな壁画などが飾られている。一種の中国詩人博物館のようなものだが、聞いたことのある名は、李白、白居易等数人しかいなかった。



杜甫草堂を出て、ちょっとみやげ物が並ぶところによってから(ハッキリ言って大したものはない)、ホテルへ。ホテルの周りで、当面必要なもの(水とか)を調達したが、近代的な巨大スーパーマーケットもあり、物価も安いし便利。泊まったラサホテルも、普通の中級ホテルで、無難。夕食は、広間での、セットメニューであったが、あまり辛くない四川料理で、日本人の口に合う。会場にあるポタラ宮殿の飾り(立体模型)は、大きくて見事。その前にステージがあったので、いろいろ催しが開かれるのだろう。

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