西蔵七日  SEVEN DAYS IN TIBET

第二日 (Day 2)

いよいよチベット行きである。今度は、成都の立派な国内線ターミナルの方から、出発である(チベットは中国国内である)。空港建設費なるものを50元払わされて(今回の旅行では、全部空港税込みになっていて、余計な出費はここだけ)、いよいよ出発。中国西南航空という会社だが、中国の場合、根っこは皆国営なので、あまり変わらない。機体も新しい。ほぼ満員であった。

夏のため、雲が多く(年間降雨の半分以上が7-8月に降る)飛行機は、すぐ雲の上に出てしまうが、雲の合間からは、雪山の頂が顔をのぞかせ、だんだん雰囲気が出てくる。特にシンガポールのような所から来ると、山自体が珍しく、雪などといったら、生まれて初めてという人も多いだろう。2時間弱のフライトだが、ラサ(Lhasa)が近づいて降下すると、急に茶色の山々が現れる。山間を飛ぶので、川と谷間にへばりついている村もよく見える。サムイェ寺(Samye Monastery)の仏塔もよく見えた。さらに、川沿いに降下すると、ラサの南90km位にあるゴンカル空港(Gongkar Airport)に着陸する。まさに山の中の空港だ。



特に、息苦しいという感じはしないが、空気の重さが違うような感じにとらわれる。チベットでのガイドは、仮名をパンダ君としておこう。なぜ、本名にしないかというと、この23才の青年は、ダラムサラで教育を受け、ネパールにも2年住んだことがある、やや訳あり風だからである。お父さんもいないらしい。ちなみに、ダラムサラは、インドの北西(チベットの南西)にあり、ダライラマ14世が亡命している先だが、数万人のチベット難民との共同生活を続けている。各国の援助で、今は、すばらしい仏教の教育機関があるのだそうである。仏教の勉強をするための物は、すべて無料になっているそうで、彼はそこで、英語を覚え、チベットに戻り、ガイドをやっているという訳である。どろどろしたチベットの歴史も含めて、最近河出書房新社から出たダライラマの本を読むと、その辺の事情がよくわかります。ちなみに、英語を話すガイドは、500人くらいいるが、そのうちチベット人は、200人位ではないかとのこと。ラサの主な見所には、監視カメラがそこらかしこに備えつけられており、反政府的な発言をするとすぐ目をつけられる仕組みになっている。旅行者の立ち入れるところも限定されており、事前にスケジュールを届け、チベット入境証が必要。手続きは、旅行社を通さないと難しいので、ほとんどの人が団体旅行になってしまうのである。

パンダ君は、白い細長い布を、ハワイのレイのように、首にかけてくれたが、これは、後で、カタ(Kata)と呼ばれる絹製のスカーフで、高僧に、首に巻いてもらうもののようであることがわかった(お土産コーナーに写真があります)。寺院に行った時も、このカタを持参して、お参りする時に納めている姿が見られた。

まずは、ラサに向かう。ヤルツェンポ川(Yarlung Tsangpo River)沿いで、結構遠い(1時間半くらい)。途中で、大きな橋を作っていたが、将来はショートカットできるようになるらしい。とにかく道はほとんどが山と川の間の隙間に作られているため、舗装はされているものの、いろんなところで、石が落ちていたり、ひどいところは、崩れて迂回路になっていたりで、慣れていないと危ない。洪水で崩れて、通行止めになっているところもあった。ちなみに、走っている車は、何故かランクルがほとんどである。当方もランクルだったが、16年落ちとのことで、ややサスペンションに限界を感じるものであった。ただよく走る。たぶんジープなどでもいいのだろうが、ランクルは、そのタフさと快適さのバランスが一番とれているのだろう。とにかく、みなよく飛ばす。家は、皆四角の平屋根で、三角屋根の家がない。家には何やら色のついた布をぶら下げた棒が屋根の端に立てられている。ちょうど麦刈りの季節で、村総出で、一生懸命刈っている。刈った麦は、稲と同じように(麦坊主?)、干してある。脱殻は、大きな布をしいて、これもまた村総出で、叩いて行っている。ここまで、原始的にする必要があるのかと思う。標識は、チベット語と中国語の併記のものが多い。道の要所には、必ず、中国政府の検問所があり、不信な者の出入りを監視している。予防的な意味もあろうが、チベットの人々は複雑な心境だろう。その後の行程で、検問にも何度か出会った。

チベットの気候は、夏は、降雨量が多いとは言っても、昼は、青空が広がる。青空といっても、直接空に触れているような、深い、まさに青空そのものである。日焼けしてしまうので、日焼け止めと、サングラスは必携である。そんな気候なので、極度に乾燥しており、本当に埃っぽい(目に見えるわけではないのだが)。そのため、ウェット・ティッシュも重宝だ。1週間で、2パックを使った。ただ、雨季なので、夜から早朝にかけて、雨が降り、チベットの湿気を保っている。この雨がなければ、砂漠化していること、間違いなし。セーターを持って行ったが、8月で、この工程だとトレーナー程度で十分。

ラサは、高度3,650Mにあり、まさに世界最高地にある都市である。結構大きな都市で、人口もたぶん数万人はいると思われる。元々チベット人の町で、長い間鎖国状態だったが、今は、急速に中国化が進んでおり、漢民族の比率も相当上がっているように思われた(居住区がぼんやりと分かれている)。全体の比率で言えば、半分くらいか?)。
まずは、ホテルの近くで、昼食(中華料理)を食べて、チェックイン後、夜まで休憩。ちなみに、今回のツアーについている食事は、中国の旅行社のツアーなので、昼夜共、すべて中華料理だった。じゃあ不満だったかというと、大した材料を使っていたわけでもないのにやたらうまい。メニューも豊富。健康管理のためにもすこぶるよろしい。チベット料理は、やはりかなり特殊なので、体調維持のためには、おやつくらいにしておいた方が無難かもしれない。ホテルは、Tibet Pearl Star Garden Hotel (西蔵明珠花園酒店)というホテルだが、ここも典型的中級ホテルで、まったく問題ない。ホテルのパンフレットにチベット世界一一覧表がついていたので、ちょっと長くなるが、抜粋を載せておく。

世界最大高原ー青蔵高原(チェンタン高原、The Qingzang Plateau)
世界最高城市ー拉薩市(ラサ、Lhasa)
世界最高宮殿ーポタラ宮(Potala Palace )
世界最高湖泊ー納木錯(ナムツォ、Lake Namtso)
世界最高峰ーエベレスト(Mount Everest )
世界最高公路ー新蔵公路 (カシュガルへの道、The Xinzang Highway )
世界上生活在最高地区的哺乳動物ーヤク ( The Yak )
世界最高河流ーヤルツァンポ川( The Yarlongzangbu River )
(カタカナ部分は、簡体語で書かれており、抜粋転記不能だった部分)

ホテルでの初日の休憩は、パンダ君が休みたいからではなく、旅行者が高地に慣れるためのスケジューリングなのである。ホテルの中には、酸素吸入器がおいてあり、売店には、携帯用酸素吸入缶とか、高山病用の薬が売っている(効き目の順に写真を載せておく)。確かに心拍数が多くなっているのがわかる。結局、初日寝るまでは、よかったが、午前2時ころ頭痛で起きて、その後あまり寝られず、初日の夜は散々であった。ただ、2日目の昼前には、完全に順応し、全く問題なかった。途中で、出会った人に聞いても、大体こんな感じのようである。もっともラサから高度を上げて行く人は、次々と順応しなくてはならないからたいへんである。宿泊場所を一日300m以上上げないことが大体の目安のようである。深呼吸と、新陳代謝を推進するために水を飲むことも有効と言われている。


そうは言っても、なんとなく時間がもったいないので、ホテルに近いノルブリンカ( Norbulingka、「宝石のような苑」または、「永劫普遍の宮殿」の意 ) に行くことにする。ここは、ダライラマ7世が造営を始めたもので、歴代ダライラマの夏の離宮として利用されてきた。その中でも一番有名なのは、タクテン・ミギュ・ポタンで、ダライラマ14世が実際に生活していた建物である。

ホテルから、すぐなのだが、何となく疲れるので、三輪タクシーに乗ることにする。ところが、いざ料金を払おうとすると50元(約650円)とばかげた値段を言うのでもめていると、近くの英語を話せる人が来て、結局10元になった。残念ながら、ラサに住んでいる人は、観光客慣れして、すれてしまっているようだ。ただ、1元13円の話なので、目くじらを立てるほどの話でもない。本当の値段は、3〜5元らしい。

ノルブリンカの中は、広くて、結局、ケルサン・ポタンとタクテン・ミギュ・ポタンしか見なかったが(中は、タクテン・ミギュ・ポタンしか公開されていないのかも知れない)、後者は、一見の価値がある。1956年に竣工したというから、ダライラマ14世は、3年しか使わなかったことになるが、当時の生活の様子が、垣間見えて面白い。レコードプレーヤーのような新しいものと、仏像などの宗教的なものが、渾然一体となっている。ダライラマ14世の写真は、もちろんなかったが、その他のダライラマの写真は、飾られている。外には花が咲き乱れ、手入れがいき届いている。
ここからの1959年3月(たまたま私の生まれた月だ)のダライ・ラマ14世脱出の話は、まさに劇的である。ダライ・ラマ14世の座なども残されており、一番ダライ・ラマ14世にゆかりのある場所と言えるかもしれない。



外に出ると、いろんなところから、歌声が聞こえる。見ると屋根の上で、たくさんの人が歌いながら、踊っているのが見えた。棒で、屋根を突っつきながら、足踏みをして、歌っている。何かのお祭りらしい。後日、ジョカンでも同じ光景を見た。心に染み入る素朴なすばらしい歌であった。ラサ近辺の家の屋根は、ほとんどフラットである。多分、風が強いからなのだろうと勝手に想像した。もちろん、三角屋根では、この儀式もできない。楽団付で、歌って、踊っている別のグループの人達が、正面の催しもの会場のようなところにいて、こちらは、民族舞踊の練習であることがわかった。私服のおじさんが、熱心に指導している。お祭りのためなのか、観光のためなのかはわからなかったが、衣装も珍しく、きれいで、動きも大きく、なかなか見ごたえがあり、しばらく見とれてしまった。女性は袖が長い服(チュバ)を着て、きらびやかな装飾をつけている。男性は、いろんな服を着ているが、見慣れないでっかい帽子をかぶっている人もいた。楽団もいっしょだが、曲がったばちで太鼓を鳴らす様子も珍しかった。

夕食は、中国人の町のレストランでの中華料理であったが、そこでは、チベット人比率もぐっと低く、ラサにいることを忘れるほどの町並みである。

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