西蔵七日  SEVEN DAYS IN TIBET

第三日 ( Day 3 )

朝は、9時出発。どう見ても2〜3時間は、東海岸との時差を設けていいはずのチベットで、時差がないものだから、7時ころは、まだ真っ暗。かといって、ツアーは、5時ころに普通は終わるから、実働時間が自然に短くなる。朝食は、ホテルの食堂だがシャビーである。ただ、粗末なチベット風ビュッフェがまた健康には極めてよかったようである。チベットの人の主食と言うと、大麦(ちなみに、米や、小麦は育たない)の粉を練ったものを思い出すが(ツァンパ)、ここは、中国風のパンとおかゆがあり(ただし軍隊の煮炊き用のような、どでかいなべに入っている)、それに大根の漬物(ラブ)や、ヤク、羊の干し肉、ゆで卵などが並んでいる。ただ、さすがに中国料理と比べてしまうと、バラエティがないので、飽きる。

今日は、ヤンパチェン温泉(Yangbajing Hot Spring)に行くとは聞いていたが、何せ情報量が少ない。とにかくパンダ君について行くしかない。車は、昨日と同じボロランクルで、一路ヤンパチェン温泉に向かう。ヤンパチェン温泉は、もちろん温泉に入りに行く人もいるのだろうが、ほとんどがその道中の景色と、ヤンパチェン温泉周辺の雪山の景色を見に行くようである。

ラサの町を抜けると、北に向かう山道に入るが(青蔵公路、Tibet-Qinghai Highway)、道は、舗装されており、快適なドライブが楽しめる。道は、ずっと川沿いにあり(Toling Chu)、高度をどんどん上げていく。地図や、看板によると、温泉は、高度4300mとあるが、パンダ君によると、高度4000mはなく、3800m台のはずとのこと。空気の薄さからして、多分パンダ君が間違っていると思う。いずれにしても、この時点で、人生最高記録であることには違いない。近くには、鳥葬場もある(亡くなった人の遺体をハゲタカなどに食べさせる場所。心の抜けてしまった肉体は、すでに不要という考えからだが、火葬が非経済的という理由もあるとのこと)。

途中で、驚くのは、道沿いに鉄道工事が延々と続いていることである。後から地図を見ると、青海省のゴルムドにつなげるつもりらしい。ただ、この険しい山々を縫うように走る鉄道を作ること自体、かなり無理があるし、経済的にも、採算が合うように思えない。世界一をまた作って観光の目玉、または”西部大開発”の目玉にしようとしているのかも知れないが、維持するのもたいへんだろう。少なくともかなりの難工事であることは間違いない。川の方は(Toling Chu)、エメラルドをした美しい川で、川幅によって、流れの速さを変えながら、ラサに向かい、ラサで、キチュ川(Kyi Chu、ラサ川)に合流している。

村々は、山の間の扇状地の斜めの土地に作られているものが多い。斜めの土地に作られているのは、日照のためか。
いずれにしても、極めて厳しい環境で、ヤクやヤギを牧草地に連れていく人々も見たが、とても普通の人は行けないと急な山を、平気で、ひょいひょい登っていくのには、驚かされる。村の正面に仏塔を立ててある村も多かった。

ヤンパチェン (Yangbajing) に近づくと、急に開けて高原のような所に出る。高原では、何やら工事をたくさんしており(鉄道関係か)、その先は、放牧地になっていて、ヤク、ヤギ、羊などが、のんびりと草を食べている。さすがに、さらに空気が薄い感じで、どうしても、動作は遅くなる。パンダ君はまったく平気。温泉は、高原の真ん中にあり、湯気をもうもうとたてている。30〜40m位の長方形の温泉プールがあり、中国人を中心に泳いでいる人も20人くらいいる。完全に少数派である。雪をかぶった山に四方囲まれており、景色はすばらしい。ここで、弁当を食べてのんびりするというのが、普通のパターンらしい。レストラン、喫茶店もあり、ヘルスセンター化している。もちろん、この先のナムツォというどでかい塩水湖に行く人も多いが、日帰りは無理である。高度をさらに上げるので(4718m)、高山病の人はさらにたいへんだ。観光用の馬に乗って、この辺をうろうろすることもできる。





帰りに、名もない村にちょっと寄ってみた。塀の上には、燃料用のヤクの糞が、重ねて干してある。ヤクは、草食のため、その糞は、燃料に適するそうだ!?家は、塀で囲まれているが、基本的には、寝室、台所、仏間の3部屋と庭から、できている。この塀のため、中は外からは見えないが、多分風除けなのだろう。家の屋根には、チベット仏教カラーの祈祷旗(経旗、Prayer Flags)が掲げられている。タルチョと呼ばれるこの旗は、五色からなり、青(空)、赤(火)、白(雲)、緑(水)、黄(地)を表すという(これは、パンダ君の説明で、本によると、地(黄)水(青)火(赤)風(緑)空(白)とある)。家の前に、ヤクのスカル(頭蓋骨)を、掲げている家もあるが、たぶん厄除けだろう。





ラサに帰って、まだ時間があったので、ラサ郊外にあるデプン寺 ( 哲蚌寺、Drepung Monastery ) に行くことにする。デプン寺は、ラサの西のはずれの山の中にあり、1416年にツォンカパ(Tsong Khapa)の弟子のジャムヤン・チョジェ(Jamyan Choje Tashi Palden)によって創建されたゲルク派(Gelugpa)の寺院である。ツォンカパというのは、黄帽派とも呼ばれるゲルク派の興した宗派である。とにかく大きく、僧坊が続く中、学堂、集会場も立ち並び、一大宗教センターになっている。ちなみに、チベットの寺は、Templeではなく、Monasteryと訳されるが、僧が修行する場という色彩が強いからである。デプン寺の中は、お布施をすれば(料金も表示されている)、写真撮影可のところも多い。ただし、建物毎に撮影料があるので、全部付き合っていたら、たいへんである。



デプン寺は、山の上にあるので、タクシーで来る時は、上まで、登ってもらった方がいい。バスで来る人は、下から、トラックの荷台(座席付)で、1元(交渉制で、私は、2元払った)で上まで運んでくれる。寺では、入場料を最初にとられるが、何と入場券は、ビジネスカード型CDROM付で、驚かされる(まだ見ていない。セラ寺、ジョカン寺も同じ)。その後、歩いて登っていくのだが、マニ車(マニコル)が並ぶ曲がりくねった参道をたらたら登る。ちなみにマニ車は、ラサのお寺には、必ずあり、中にお経が入っており、一度回すと、お経を一度読んだことになる。右回り(時計回り)で、回さなくては、いけない(ボン教(Bon)は左回りです。ちなみにシンボルであるユンドゥンも卍で、仏教の”まんじ”とは、逆向きである)。水車方式で、自動的に回っているマニ車もあった。お坊さんの遊び心が感じられる。岩には、いろいろな絵が描かれている。ツォンカパとその弟子の像や、経文が書かれている。この経文は、観音菩薩の六字真言である”オム・マニ・ペメ・フム(OM MANI PAY MI HONG)”と書かれており、間違って虫を踏んで殺したり、ご飯の前などに唱える。聖地に重ねてあるマニ石にも大体この言葉が書かれている。"南無阿弥陀仏"のようなものである。お祈りする時の手の合わせ方も教わりましたが、親指を手の平の内側に折って合わせます。



ガンデン・ポタンは、ダライラマ5世の寝殿だったところだが、夏のショトン祭りには、ここで、盛大な儀式が執り行われるとのことである。ダライラマ5世は、ポタラ宮ができて、ここからポタラ宮に移った。今は、閑散としていて、僧侶が、太陽熱で、お湯を沸かしていた。夏は雨季で、夜は、いつも曇りや小雨だったが(残念ながら星は見れなかった)、昼は、いつも天気である。中には、仏像、僧の像、壁画(フレスコ画)、バター彫刻(トルマ)が、各部屋にあり、見るもの見るものすべてが珍しい(何だこりゃ!)ものばかりである。チベットで初めて訪れた寺院で、印象が深い。千手観音も見事なものである。ちなみにフレスコ画は、どこの寺院でも見られるが、漆喰を塗った壁を乾かして、岩絵具で彩色する方法である。ニスのようなもので、上塗りされており、光って見える。



バター灯(The Worshipping Lamps)も初めて見たが、バターは、燃料用のバターが、袋に入れて売られており、信者は、それを各バター灯に、次々盛って、お参りしていく。食べてみようとも思ったが、さすがにやめた。少なくとも、食用のバターとは違うバターである。独特の香りがして、雰囲気を盛り上げている。



さらに上がると(高地ゆえそんなに楽ではない)、ンガバ学堂があるが、僧が密教を学ぶ場である。ここから、またまた僧院を抜けていくと、最大の建物であるツォクチェン(Tsokchen Assembly Hall、大集会場)がある。巨大な建物で、183本の柱に支えられているのだという。中に入ると、正面に巨大なものから普通のものまで、仏像が立ち並び(皆金ぴかで、神々しい)、その前に僧侶が、経文を置く机が、ずらっと並んでいる。ちょうど夕方の読経の時間になり、足早に退出しなければならないことになったが、まさに仏教ど真ん中という趣である。7770人の僧侶が収容できるチベット最大の集会場とのことである。建物の前は、ちょっとした広場になっており、読経にまだ参加できない若い僧侶たちがお祈りをしている。ただし、もっと若い僧は、やぎと戯れていたりもする。この前からの町の眺めもすばらしい。広場に立つ2本の神柱(The Great Prayer Pole)は、タルポチェを呼ばれており、毎年正月に立て替えられる。真っ直ぐ立つと吉、ゆがむと凶とされる。天と地を結ぶ象徴である。その脇には、僧侶達のための厨房があるが、この厨房撮影のためにもお布施が必要なので、ここの写真をとった人は少ないのではないか。釜の大きさ、しゃもじの多さには、びっくりする。食事時はすごい状況だろう。



ここで、イタリア人の自称観光フォトジャーナリストといっしょになったが(ちゃんとライセンスを首から下げていたので、それ自体は嘘ではないと思う)、いかにもイタリア人らしく人なつっこいが、危なっかしい。ちなみに、現在彼は訴訟中で、勝ったら4億円手にはいるのだそうである。今の財産は、4000万円くらいなのだそうである。訴訟に勝ったら、アジアで、観光業のエージェントを開業するべく検討中とのこと(KLをベースにするとのこと)。その際は、応援して欲しいとのことですので、希望者はどうぞ。





下には、前述のトラックの荷台に乗って、すべり降りる。エンジンもかけていない。要するに、エンジンブレーキも使わず、フットブレーキだけで降りる、いわゆる教習所で、やったらいけないと教わった方法で、転がり落ちるように、落下していくのである。



下りた後、今日の予定は、なかったので、麓のレストラン?で、バター茶(チャ・スマ)とチベット風うどん(トゥクバ)を食べる。バター茶のはめずらしい。昔ながらの保温ポットに入れてくれるので、飲み放題。少し塩味っぽい感じでもあり、疲れた体には、本当にほっとする味である。お茶っ葉を煮出して、塩とバターを入れて作っているとのこと。旅の途中に飲むととまらない。病み付きになる人もいるかもしれない。ちょっと脂肪分がどのくらい入っているのかは気になるが。

その後一律2元のマイクロバスに乗ってホテルに帰る(バスの使い方は、町の交通手段のコーナーをご覧ください)。その後、昨日昼食べたレストランで夕食。客は、我々だけで、シャビーではあったが、味に問題はない。横では従業員が明日のための弁当(今日の昼に食べたもの)を、きわめて荒っぽく作っていた。そんなものでしょう。ラサビールにもトライしたが、うまくもないが、そうまずくもないというところか。ちなみに、ビールとタバコは高山病の大敵である。熱い風呂もダメとのこと。

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