インド人もびっくり! AMAZING INDIA !

 クトゥブ・ミナール Qutb Minar   

クトゥブ・ミナールは、デリーに奴隷王朝を創始することになるトルコ系のムスリムである将軍アイバクがインド北部を征服した勝利の記念に、建てた塔です。12世紀末から13世紀初頭のことでした。
この塔が建設される前、デリー南部のクトゥブ地区には、ヒンドゥ教や、ジャイナ教の寺院が27もあったといいます。それらを破壊して、ムスリム寺院や、この塔を建設したわけですが、ムスリムの力を誇示する必要があったのでしょう。
高さが、72.5mもあり、今でも、インドでもっとも高い石塔です。当初は4層でしたが、1368年に4層目が改変され、5層目が追加されました。そのためか、上の方がやや寸詰まりになっている印象を与えます。
ミナールは、イスラム教モスクのミナレット(光塔・尖塔)のことです。
下から見上げるとその量感にも圧倒されます。
基部の直径は、15mにもなります。
各層の間には、バルコニーが見えます。
私が、訪れた時は、登ることは禁止されていましたが、昔は、登れたようです。
中には、379段の螺旋階段があり、各バルコニーに通じています。
塔には、イスラム風の装飾と装飾文字がみっしり刻みこまれています。
第一層は、半円形の柱と、三角形の柱の組み合わせであることがわかります。
コーランの文字が、水平に掘り込まれていて、装飾性を高めています。
第二層は、半円形の柱のみ、第三層は、三角形の柱のみで構成されています。
イスラム風の幾何学的な装飾もいたるところに施されています。
クトゥブ・ミナールの横には、モスク境内への南門であるアラーイ門があります。
14世紀になってから、建設されたものです。
アラーイ・ミナールの塔。
奴隷王朝を引き継いだ、同じくイスラム教の王朝であるハルジー朝のスルタン、アラー・アッディーンによりアラーイ門と同時期の14世紀初頭に建設が開始されましたが、王が暗殺されてしまったため、一層目の途中で、建設は中断されました。
直径25mもあり、完成していれば、高さ100mを越えたものと思われます。
一帯には、アーチ状の門や、回廊が残されていますが、その多くが、崩れてしまっています。
これは、インド人がまだ真のアーチの作り方を知らず、せり出し型のアーチとしたため、後に崩壊したものと考えられています。
征服者であるムスリムは、モスクの建築方法までは、持ってこれなかったということでしょうか。
ヒンドゥの鉄柱。
4世紀に造られたという高さ7.2mの鉄柱が残されています。
グプタ朝のチャンドラ王を記念して造られた記録があり、イスラム教王朝が征服する前のヒンドゥ教時代のものです。よそから移築されたものです。
柱を背に腕を回し、両手の指が柱の向うで合えば、幸運に恵まれるという言い伝えがあるそうですが、行ったときは、柱に直接触れられないように囲いができていました。
アイバク王が当初に建立したモスクの回廊。このモスクは、インド最古のもので、クッワト・アルイスラム・モスクと呼ばれています。
元々あった、ヒンドゥ教や、ジャイナ教の寺院の資材を使って造られたため、イスラム風のデザインではありません。手前から二本目の柱は、ジャイナ教の装飾が残されているのがわかります。
ただし、イスラム教では、偶像崇拝が禁じられていたため、その部分は、隠されたり、削られたりしたといいます。