石窟庵は、吐含山(トハムサン)の中にある石窟で、すばらしい仏像が残されています。バスで行ったからいいものの、昔は、とんでもない山の中でした。日光のいろは坂をよりハードにしたものといったところでしょうか。99曲がりの坂と呼ばれています。前日のツアーは、台風の名残で、キャンセルになったとのことでした。
元々、仏国寺の拡張の一環として、751年に建造されましたが、仏教弾圧により長く忘れ去られていて、20世紀(1909年)になってから、郵便配達人により、偶然発見され、再建されました。石造りだったからということもありますが、当時の仏像の最高傑作といっても過言ではない仏像が、残されていたというのは、すばらしいことです。人々から忘れ去られていた方が、いいものが残るという一例かもしれません。
奈良の東大寺の時代と同時代の創建であり、日本の初期の寺院との比較という観点からの興味深いものです。
石窟庵も、もちろん世界遺産です。 慶州市内から、10数kmのところにあります。 |
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バスから降りてからも、なだらかな山道を登っていきます。 こちらの山道は、日本で見られるガードレールがありませんが、自然をなるべく残すという発想からなのだそうです。 自然を残すといえば、ホテルでの使い捨て歯ブラシ・使いすて髭剃り禁止とか、割り箸禁止とか、いろいろな工夫がされていました。 ちなみに、韓国は、弁当文化ではなく、出前文化で、割り箸禁止といっても、抵抗感は、少ないようです。 |
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石窟庵が見えてきました。 左奥の小山が、仏像が納められている石窟です。そのすぐ前の建物は、前室になります。 石窟といっても、岩山を彫ったわけではなく、花崗岩を組み上げた空間の上に、山をかぶせたものです。 |
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石窟の内部を解説した案内図です。下方に四角く見えるのが、前室で、その先に、扉道があり、その奥が、窟室になり、阿弥陀如来像が納められています。天井は、岩がドーム型に積まれています。前方後円墳と同じ形をしています。短い参道の奥に、仏像が安置されています。 ガラス越しにしか見れませんが(湿気避けとのこと)、じっくり見ることはできます。ガラスの中に入れるのは、5月5日、年に一回だそうです。 前には、八部衆の浮き彫りが両側に刻まれています。扉道には、四天王が刻まれており、メインの釈迦如来の回りには、十大弟子の像が掘り込まれたレリーフが取り囲んでいます。 |
中は、写真撮影禁止なので、これは、絵葉書の写真です。 高さ3.4mの花崗岩(ここで採れる石ではないとのこと)でできた阿弥陀如来像です。 中国と日本の中間にあった当時の韓国の仏像の姿を残しており、極めて貴重な物だと思います。 光背に見えるのは、蓮華文を刻んだ円い花崗岩です。ポーズは、降魔触地です。 この石窟庵は、海の方向を向いていますが、朝鮮半島を統一した新羅のの王である文武王(ムンムワン)が護国のため竜神となり、日本海(東海(トンヘ))に眠る(海中陵=カンポー)という遺言があり、その竜神となった文武王に護国を祈ってのことと考えられています。 |