韓国 駆け足 バスツアー A Quick Bus Tour of the Korea

八万大蔵経板の納められた伽耶山海印寺 Haeinsa Temple Janggyeong Panjeon,  the depositories for the Tripitaka Korean Woodblocks

慶州地区を抜け、山間部に入り、朝鮮半島の真ん中辺りまで来たところに、伽倻山(標高1430m)はあります。
そして、そこには、韓国の三大名刹の一つに数えられる海印寺があります。元々は、統一新羅時代の802年に創建されました。ただ、海印寺を有名にしているのは、何といっても、そこに納められた八万大蔵経板の存在によるところが大きいでしょう。この経板は、モンゴルとの戦いの勝利を祈念して納められたもので、綺麗にお経が掘り込まれた版木が、見事に保存されています。
世界遺産に指定されていますが、その名を見ても、わざわざお寺の名の前に、八万大蔵経板が納められたという枕詞がついています。

慶州を出てからは、高速を使い、朝鮮半島を南東から北西に、横断する行程となりました。高速道路からは、田畑を見下ろす丘に、土饅頭とともに、お墓が多数見えます。
儒教の盛んな韓国では、火葬はせず、土葬。朝鮮王朝が儒教を推奨したのに伴い、火葬から土葬に変わったとのことです。かつ、見晴らしのいい所に、お墓を造ります。ご先祖様を大切にするという思想からです。ゴルフ場を造ったり、宅地開発をする時に、一番厄介なのは、このお墓の取り扱いらしいです。
そういえば、『半島を出でよ』でも、コリョ(北朝鮮反乱軍)の戦死者を、日本国内でどう葬るか、迷う場面がありました。隣同士の国でも、ずいぶんこの辺は、違います。
伽倻山への登山道入り口には、土産物屋や、食堂が連なります。ここは、何となく日本の風景と重なります。
ここで、腹ごしらえをした後、ガイドさんの計らい(半分強制)で、タクシーで、海印寺へ向かいました。徒歩で20分ぐらいだと思います。
ここは、どの大都市からも、ちょっと遠いので、なかなか来にくいところのようでした。
小渕さんが見えたようで、食堂に、写真が飾ってありました。
伽倻山海印寺の門(一柱門)です。
海印寺(ヘインサ)は、統一新羅の時代の802年に創建された古刹です。
海印寺の名は、華厳経の『海印三昧(変わらぬ心を守る』の言葉から、来ているそうです。
お馴染みの、世界遺産の碑です。
海印寺の様子ですが、一番上にあるロの字形の建物に、八万大蔵経(はちまんだいぞうきょう)の版木が納められています。
多くのお堂が立ち並んでいるのがわかります。
度重なる火災で、蔵経板殿を除いては、李氏朝鮮時代末期に再建されたものです。
立派なお堂が立ち並んでいます。

お堂の間の空間に、迷路のようなものが書いてあり、お祈りしながら、その迷路を歩いている人がいました。
韓国流のお祈りの方法なのでしょうか。回りながら、中心に近づくという感覚でしょうか。
右に見るのが、創建時の建立とされる三層石塔です。
仏国寺のものと、趣が似ています。
正面が、本堂の大寂光院です。この上(裏?)に、経板が納められた蔵があります。
本尊は、毘琉廬遮那仏です。
いよいよ版木の納められている蔵に登ります。
寺院とは、ちょっと隔離されたようになっています。
石段を登ったところの門には、八万大蔵経の扁額が掲げられています。
海印寺で、一番高い、重要な空間へ到着しました。
蔵は、幅60.44m、奥行き8.73mの細長い蔵が、並び、その両端にも板庫があり、全体として、細長いロの字型の構造になっています。
修復中で、囲いがありますが、左右の細長い建物(修多羅蔵と法宝蔵)に、八万大蔵経の版木が納められています。
山の上の方の風通しのよいところに造られています。格子窓が上下二段になっていますが、風通しをよくするために、上下の窓の大きさが違うのがわかります。左右の建物で、大きい窓と小さな窓の上下が逆です。
また、床は、木炭、石炭、塩で盛り土がしてあり、湿度調節を図っています。
これらにより、版木は、そりもせず、綺麗に残ったのです。
格子からは、お経の版木が無数に納められているのが見えます。
海印寺の建物は、この蔵経板殿以外は焼失し、朝鮮王朝末期に再建されたものです。
版木は、横69.5cm、縦23.9cm、厚さ3.6cmに統一されています。朴の木の板を3年間、海水につけて、乾燥させ、両面に、縦14文字、25行の経文を堀り、一字毎にお祈りし、最後に、漆をひいて仕上げたそうです。
四隅は、銅で、装飾されています。
拓本のようなものも売られていましたが、どのように、作られたのかは、不明でした。このお蔵の中には、一般人は、入れません。
綺麗な楷書で、一文字一文字が刻まれています。
高麗で、最初に版木が作られたのは、11世紀で、契丹族の国、遼を撃退することを祈願するためでした。
しかし、その版木は、13世紀に焼失してしまい、モンゴル撃退の願いをこめて、1236年に、再度15年をかけて、復刻されました。
版木の数は、81258枚。文字数で、5000万を超えるといいます。当初、当時逃れて首都となっていた江華島で造られましたが、1398年に当地へ移されました。
この版木から印刷されたものが、日本にも伝えられています。

      

ヘインサ