西蔵七日  SEVEN DAYS IN TIBET

シルクロードに関わる漢詩の世界

漢文は、高校の時習って以来、ほとんど縁がありませんでしたが、シルクロードの旅をするに当たり、調べてみると、いろいろ覚えているものだなと我ながら感心してしまいました。たぶん、シルクロードがもっとも栄えた唐の時代に、漢詩の世界もピークを迎えていたからなのでしょう。
このコーナーでは、その中でも、特に有名な六編をご紹介します。ホームページということで、横書きになってしまいますが、さらっと漢詩の世界に浸ってみてください。

渭城朝雨邑軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人


                      王維

(1行目の5文字目は、本当は”三水偏”ですが、文字が出ませんでしたので、”造り”のみ記載しました)

【読み方】
渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)軽塵(けいじん)を邑(うるお)す
客舎(きゃくしゃ)青青(せいせい)として、柳色(りゅうしょく)新(あら)たなり
君(きみ)に勧(すす)む 更に尽くせ 一杯の酒
西のかた陽関(ようかん)を出ずれば故人(こじん)無からん

【解説】
これは、唐の時代の詩人・画家である王維の、「元二(げんに)の安西(あんせい)に使(つかい)するを送る」という詩(七言絶句)です。
渭城(いじょう)は、長安(現在の西安)の近くの咸陽(かんよう)を指していると思われます。この咸陽から、シルクロードを経て安西都護府(現在のトルファン?)に向う使者を、客舎(旅館と思われる)で、送別の宴を張った時の詩です。
前半の2行で、その旅館の辺りの景色を述べ(雨が降って、埃も落ち着き、しっとりし、柳も青青としている)、3行目で、使者に酒を勧めています。そして、最終行で、陽関(現在も敦煌近くに遺跡が残るが、当時の唐の西の境界)を出たら、酒を酌み交わすような故人(親友)はいないのだからと締めくくっています。
見事な展開の詩です。シルクロードを語る時に、この詩は欠かせません。



長安一片月

万戸擣衣声
秋風吹不尽
総是玉関情
何日平胡虜
良人罷遠征


                      李白
             


【読み方】

長安(ちょうあん)一片(いっぺん)の月
万戸(ばんこ)衣(ころも)を擣(う)つ声
秋風(しゅうふう)吹き尽くさず
総(す)べて是(こ)れ玉関(ぎゅくかん)の情(じょう)
何(いず)れの日(ひ)にか胡虜(こりょ)を平(たい)らげて
良人(りょうじん)遠征(えんせい)を罷(や)めん

【解説】

唐の時代の詩人、李白の「子夜呉歌(しやごか)」という詩(うた)です。李白は、杜甫と並ぶ漢詩の第一人者ですが、ほぼ同時代の人で(李白が10歳くらい上)、李白は”詩仙”、杜甫は”詩聖”とも呼ばれています。唐が一番栄えたころで、シルクロード(西域)の支配地域も最大、日本からは、遣唐使が長安に頻繁に文化、仏教の教えを輸入するために派遣されていました。
この出だしの五文字(長安一片月)は、頭の中に残っている人も多いと思いますが、長安(西安)の大雁塔を見た後にこの五文字詩を読むと感慨も無量です。
冬支度をするために着る物を作る音が静かに響き、その音は、秋風に吹き消されることはありません。
玉関(ぎょくかん、通常玉門関と呼ばれる)は、前の詩にある陽関(ようかん)と並ぶ敦煌の西にある関門で、その先は、広大なタクラマカン砂漠になります。玉関に派遣されている夫を思う思いで心は一杯で、いつになったら匈奴をやっつけて帰って来るのでしょうと締めくくっています。
晩秋の月の光の下、長安の夜に、西域に行って国を守っている夫を思いながら夜なべ仕事をしている様子を描いた見事な詩(うた)です。



葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回


                      王翰

【読み方】

葡萄の美酒 夜光(やこう)の杯(はい)
飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催(うなが)す
酔うて沙場(さじょう)に臥(ふ)するを君(きみ)笑うこと莫(な)かれ
古来(こらい) 征戦(せいせん) 幾人か帰る

【解説】
唐の時代の詩人王翰の「涼州詩」という詩(うた)です。涼州は、トルファン近辺を言い、今もこの辺りはそう呼ばれています。”西涼ビール”なるものも、いただきました。
前半の2行の、ぶどう酒(=ワイン)をきらきら輝くグラスで飲もうとすると、馬上では、琵琶が演奏されているというくだりは、まさにシルクロードを代表するエキゾチックな情景です。長安にいたのでは、絶対このような詩は読めなかったでしょう。
ちなみにこの夜光杯は、どんな杯かはわかっていません。現在のシルクロードでは、深い緑色の石を研磨して作った夜光杯が代表的な土産物ですが(お土産のコーナーご参照)、この詩の夜光杯は、これではなく、正倉院にもあるようなグラスという説と、玉杯をいう説があります。そういえば、高昌故城で、ガイドが玉杯と思われるものを買っていました。
後半は一転して、砂漠に酔いつぶれたのを笑わないでくれ、昔から、戦に出て行った人の何人が無事帰ってきたことか、と締めくくっています。この辺境の地を守ることがいかにたいへんだったか、想像を絶するものだったのでしょう。切れ味鋭い見事な詩(うた)です。

戚戚去故里
悠悠赴交河
公家有程期
亡命嬰禍羅

君已富土境
開邊一何多
棄絶父母恩
呑馨行負戈


                      杜甫

【読み方】
戚戚(せきせき)として 故里(こり)を去り
悠悠(ゆうゆう) 交河(こうが)に赴(おもむ)く
公家(こうか) 程期(ていき)有り
亡命すれば 禍羅(から)に嬰(かか)る
君(きみ) 已(すで)に土境(どきょう)に富(と)めり
辺(へん)を開くこと 一(ひと)えに何(なん)ぞ多(おお)き
父母の恩を棄絶(きぜつ)し
声を呑みて 行くに 戈(ほこ)を負う

【解説】
唐の時代の詩人杜甫(詩聖と呼ばれる)の”前出塞(しゅっさい) 九首 其一”という詩(五言律詩)です。
杜甫は”詩聖”と呼ばれ、有名な詩を多く遺していますが(”国破れて山河在り、城春にして草木深し”など)、この詩はそんなに有名ではないかもしれません。ただ、当時の西域に出征するということがどういうことなのか、よく表れていると思います。
悲しみながらも故郷を去り、はるばる交河(トルファンの交河(現在の交河故城))に向かう。おかみ(唐の玄宗皇帝の時代と思われる)からは、赴任の期限が定められていて、亡命でもすれば、法の網にかかってしまう。皇帝は、既に十分な領土を持ち富んでいるのに、何故辺境の開拓に熱心なのだろう。兵士たちは、父母の恩を打ち捨てて、声を忍んで、戈(ほこ)を背負って出征していく。という内容です。
第2次世界大戦中、出征していった日本兵たちも同じような気持ちだったかもしれません。

走馬西来欲到天
辞家見月両回円
今夜不知何処宿
平沙万里絶人煙


                      岑参

【読み方】
馬を走らせて西来(さいらい)し 天に到(いた)らんと欲す
家を辞(じ)してより月(つき)の両回(りょうかい)円(まどか)なるを見る

今夜は知らず 何(いず)れの処(ところ)にか宿(しゅく)するを
平沙万里(へいさばんり) 人煙(じんえん)を絶つ

【解説】
唐の時代の岑参(しんじん)の「磧中作」という詩(七言絶句)です。”磧”は砂漠のことですから、砂漠で作った詩ということでしょう。
西へ、ひたすら馬を走らせ、地平線を目指した。家を出てから満月を既に2回見た(2ヶ月経ったの意)。今夜どこに泊まるかわからない。永遠に砂漠が続くのみで、人のいる気配はまったくない、といった意味でしょう。
当時の西域が、延々と続く砂漠(=恐怖・殺伐のイメージ)のみで捉えられており、ロマンチックとか、エキゾチックとかのイメージとは無縁であったことがわかります。

黄河遠上白雲間
一片孤城万仭山
羌笛何須怨楊柳
春光不度玉門間


                      王之渙

【読み方】
黄河 遠く上(のぼ)る 白雲(はくうん)の間(かん)
一片の孤城(こじょう) 万仭(ばんじん)の山

羌笛(きょうてき) 何(なん)ぞ須(もち)いん 楊柳(ようりゅう)を怨(うら)むを
春光(しゅんこう)度(わら)らず 玉門閑(ぎょくもんかん)

【解説】
唐の時代の王之渙(おうしかん)の「涼州詞」という詩(七言絶句)です。
前半の2行で、高い山々が連なる中、ぽつんとある城の情景を描き、辺境イメージをまず表しています。後半は少し説明が必要ですが、”羌笛”は遊牧民の笛を言い、楊柳(ようりゅう)は柳のことで、長安の人は、柳を手折ってはなむけにしたといいます。つまり、はなむけのうらめしい曲を羌笛で奏でるのはやめてくれと言っているのです。最終行で、玉門間(敦煌の西の、当時の西の果て)には、春の光は届かないのだからと締めています。

この詩も当時の西域がどんなにたいへんな所であったか、そこに行くことが、どんなに悲しいことであったかをうたった詩だと思います。


漢詩の世界いかがでしたか。日本人で、漢字が読めてよかったとは思いませんか?

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