西蔵七日  SEVEN DAYS IN TIBET

第六日 (Day 6)

毎日濃密な日が続いていますが、今日は、今回の旅行の終着点であるウルムチに向かいます。
以前は、トルファンから、5時間くらいかかったそうですが、今は、立派な高速道路ができて(2000年)、2時間ほどの行程でした。皆で、ホテルで、朝食を食べて、出発です。ちなみにここのホテルの朝食は、粗末なビュッフェスタイルなのですが、チーズのような豆腐に、赤い梅のようなものをかけたものがおいしくて、おかゆといっしょに大量に食べてました。中国の他のところでも食べたことがありますが、日本ではあまり見ません。今度見つけたら買おうと思います (後日、中国の深センのホテルの朝のビュッフェで食べる機会がありましたが、”腐乳、Preserved Bean Curd”という名札がついてました。豆腐をさらに発酵させたもののようです)。

ちなみに、宿泊した吐魯番賓館は、当地ではまあまあのホテルのはずですが、この時期、宿泊客はほとんどおらず、土産物売り場も鍵がかかったままでした。ロビーの明かりが点ったのも、一度も見ませんでした。両替のボードも、半年くらいは、触られていないようでした(とんでもないレートが表示されている)。見るからにヨーロッパ人の、日本語ぺらぺらの別のガイド(私のガイドによると、彼もウィグル人だそうです)が、泊まっている日本人は、私ともう一人いて、もう一人の方は、何もせず、長期滞在しているということでした。ちょっと怖いですが何をしているのでしょう。浴槽の方も、茶色の水がしばらく出続けますので、しばらく客がいなかったのは、確かです。

火焔山と並行に北西へ走っていくと、高速に入ります。高速にはいると、最初は、ゴビの中ですが、だんだん寒くなって、山の中に突入していきます。途中まで、昨日乗ってきた鉄道と並行して走って行きますが、途中で、鉄道は、大きく二手に別れます。そのまま北のウルムチ方向に行く路線と、そのまま西にまっすぐ行って、カシュガルに行く路線です。李さんは、カシュガルまで行くと、本当に別世界だと言ってました。そういえば、李さんは、去年私がチベットに行ってたころ、やはり、チベットに長期滞在ガイドをしていたそうで、各所で、ご活躍のようです。

高速道路は、天山山脈の端っこを越えて、北のウルムチに向かいます。河はほとんど凍っているし、途中ガソリンスタンドに止まりましたが(ガソリンは1L=3.52元)、風が冷たくて、日本の真冬の季節です(ここではマイナス3度でした)。天山山脈に入るまでは、ゴビが続き、奥に、山々が連なっているという光景が続きました。山にはいると、温度もますます下がり、霧で、視界も相当悪いです。昨日のトルファンでは、初夏の季節だったのですが。標高も、680mくらいということで、トルファンよりは、かなり高くなります。

パーキングエリアでは、無数の(200以上)風力発電のためのファンが見れます。天気がよいともっと壮大なのでしょうが(亜細亜最大とのことです)。ここは、風が強いことで、有名で、特に5月の黄砂の季節がたいへんらしいです。台風並みの風で、列車も止まることがあるそうです。ここからの風が、最終的には、日本まで、届いたりするのでしょう。

この、空模様は、結局この日ずっと続いて、残念ながら、楽しみにしていた天山山脈の雄大な姿は、拝むことができませんでした。天山山脈の最高峰であるボゴタ峰は、霊山としても有名で楽しみにしていたのですが。9月がベストシーズンで、果物が豊富で、暑くもないそうです。

山を抜けると、牛や、羊の牧場がたくさんあります。さらに街に近づくと、塩、セメント、鉄、石油の工場などがたくさん見えてきます。車も多く、空気も悪そうです。家庭暖房に石炭を使っていることも、公害の原因になっているようです。ウルムチは、この重工業的な産業と、貿易(ロシア、カザフスタン等と中国)が主要産業とした、人口200万人以上の、大都会です。中国総面積の1/6を占め、モンゴル、ロシア、カザフ、キルギス、タジク、アフガニスタン、パキスタン、インドの8ヶ国と境を接しているインターナショナルな地域で、ウィグル、漢、カザフ、回、モンゴルなど、多彩な民族が住んでいます。

 新疆国際大バザール



ウルムチでは、最初バザールに行きました。バザールというのはよく聞く言葉ですが、本場のバザールは、もちろん初めてです。実際行って見て、昔ユーミンのコンサートで見たバザールのシーンを思い出しました。異国情緒あふれる中、いろんな珍しい物が売っています。ナンも、焼きながら売っています。もちろん地元の物もありますが、中央アジア、ペルシャ、パキスタンのものも多いようです。立ち並ぶ尖塔(ミナレット)やモスクもイスラム(清真)そのものです。市場自体は、現在3階建てのビルの中にあります(2003年にできたらしい)。

何にも買わないのもなんですので、絹のスカーフを買いました。おじさんは、パキスタンから来た人と言っていましたが、本物であることを証明するために、ライターで、スカーフの端を燃やすなど、パフォーマンスも堂にいっています。歩いている人々も様々で、まさに国境を越えた世界という感じです。

ホテルにチェックイン後、街の中の地元のレストランに連れて行ってもらいました。地元のビジネスマンなども使っているファーストフード風の店ですが、味は本格派で、シシカバブーと、パー麺と、ウルムチビールの3点セットは、まさに(ビールはともかく)究極のウィグル料理で、満喫しました。周りは、ビジネス街で、気温も数度しかなかったと思います。雪こそ降っていませんが、霧がかかっていて、吐く息も真っ白です。日本の真冬の気候でした。雪もそこかしこに残っています。
真冬の最低気温は、マイナス30度といいますから、シカゴ並みです。この日は、街の気温は、マイナス1度から、プラス8度でした。

 紅山公園



そこから、ウルムチでの数少ない観光地のひとつである紅山公園に行きました。ウルムチ市街を見下ろせる場所にあり、標高910mとのこと。車で、かなり上まで行けるので、たいしたことはありません。
頂上に行く途中に、人物像がありますが、林則除の像だそうです。林則除は、アヘンの輸入禁止をし、阿片戦争のきっかけを作りましたが、結局負けたため、新疆のイリに流罪になっていました。そのため、ここに像が奉られているのです。その後、復権しましたから、よかったですね。

頂上に立つのは、鎮龍塔ですが、これは、たびたび氾濫したウルムチ川を鎮めるために建てられた塔とのことです。残念ながら、景色はあまり見えませんでしたが、街は、高速道路、高層ビル、鉄道などで、びっしり埋め尽くされています。王さんが、あそこが私の大学と教えてくれましたが、よくわかりませんでした。そういえば、この寒空の中、凧揚げをしている人がいたのには、びっくり。

ここで、また本来のスケジュールは終わりなのですが、チップを払って、2箇所追加で行くことにしました。新疆ウィグル自治博物館と”亜細亜の中心”です。
前者は、ミイラの博物館として有名で、できれば行きたいと思っていました。後者は、全く予備知識なく、李さんがこういうところもあるよと教えてくれたので、興味本位のみで、行くことにしたものです。

 新疆ウィグル自治区博物館



新疆ウィグル自治区博物館は、午後は3時半にならないと開かないということで、門の前で、30分くらい待たされました。
現在、新しい博物館を建設中で(2005年10月完成予定)、今は、裏のちんけな建物で仮住まいですが、逆に、昔の博物館らしい雰囲気の中で、じっくり鑑賞できました。部屋が一つなので、コンパクトです。今の博物館は、ちょっと美術館っぽくなって、わくわくする冒険心を感じることが少なくなってきたかもしれません。建物の前には、ウィグル最大の玉(Jade)が、無造作に飾られています。すごく高価な物だと思います。

時間になると、係員が5名くらいといっしょに博物館に入りましたが、客は、またしても、最初から最後まで、私だけでした。
中は、撮影禁止ですので、説明だけにしますが、ミイラ群と、その副葬品、発掘品がところ狭しと展示されています。中でもローランの美女と呼ばれるミイラは、日本にも来たことがあり、有名です。1980年に発掘された4000年ほど前のミイラ(推定45歳)で、靴や帽子などもモダンです。
赤ちゃんのミイラは、2005年のシルクロード展で来日したものです。何故か、両目を黒い石で、ふさがれています。アスターナ古墳で、見つかった唐の武将のミイラや、明らかに欧州人とわかるミイラとか、ミイラだけでも10点くらいあったでしょうか。

発掘品では、20世紀初頭で、ニヤ遺跡から見つかったカロシュティ文字の書かれた板(これで、インドからの文化の流入があったことも証明された)や、きれいな文様の織り込まれた絹織物や、独特の刺繍がなされた衣装、古ーい紙や、アスターナ古墳から発掘された唐三彩の俑や、12支の顔を持つ人物像や、鎮墓獣(頭は獅子、蹄は牛、体は豹で、昨日見た216号墓で見つかったもの)や、当時の生活の様子を描いた壁画や、布靴や、弓や、本当にいろいろあります。
変り種は、アスターナ古墳から見つかった1200年前のお菓子で、今のクッキーと変わりません。これまたアスターナ古墳から、見つかった”伏義女か図(ふくきじょかず)”も有名です。下半身が蛇の男女が、あざなえる縄のごとく描かれており、手にコンパスや、星座を持っています。男が”伏義”で、”女か”との婚姻によって、天地を創造したという中国古代神話のテーマを描いたものです。アスターナ出土の、"樹下美人図”は、典型的な唐風美人画です。
現在見れるのは、ほんの一部なのでしょうが、新博物館が完成したら、さぞ充実したものになるに違いありません。

 亜州大陸地理中心



博物館の後は、”亜細亜の中心”に向かいます。”アジアの純真”ではありません。わくわくするネーミングです。
ここは、やはり観光地である南山牧場に向かう途中にある人造観光地で、ウルムチが亜細亜大陸の東西南北のちょうど真中にあることから、作られたものです。
李さんは、8-10年前に造られたと言ってましたが、まだ、工事中のい箇所も多いです。ガイド見習いの王さんは今回が初めてというまだ、発展途上の観光地です。結構山に入って行くので、途中で、羊の放牧などにも出会いました。ウルムチの近郊は、モンゴル風で、美しい牧場も多いようです。カザフ族の人も多く住んでいるとのことです。

駐車場に、まず巨大な鳥の羽を広げたような鉄骨製のゲートがあります。ゲートには、人影もなく、しょうがないのでそのまま入りました(帰りには、人がいて、ただで入ったといってもめましただ、事情を説明したところ、理解してくれました)。
そこから、まっすぐ道が伸びているのですが、霧が深くて先がよく見えません。道の両脇に、意味不明のモニュメントが並んでいましたが、よく見ると、亜細亜各国をテーマにしたモニュメントであることがわかりました。ちなみに、日本は、お相撲さんでした。その背景には、ノアの箱舟の形をしたレストランがありますが、オープンしていないのは言うまでもありません。
結構この道は直線で、長く、李さんがおかしいおかしいと言い出したころに、何やら見えてきました。これこそが亜細亜の中心のモニュメントということです。地球を模した球形のモニュメントをいただいた、高さ14mの塔から、まっすぐ⇒の形をした棒が降りていて、この真下が亜細亜の中心というわけです。塔の上には、直径2.5mのステンレス製の玉が乗っています。地球を意味するのでしょう。

西をどこまで含めたのかわかりませんが、ここが亜細亜の中心であることを、証明する石碑が立ち並んでいます。亜細亜の中心は、北緯43度40分37秒、東経87度19分52秒とのことです。このモニュメントの下は、やはり亜細亜を象ったタイルになっています。また、その周りにも、亜細亜各国の紹介と国旗を表した碑が立っており、ここから、中心の塔のライトアップができるようになっています。すごいですが、とにかく寒かったです。
天気のよい日は、背景に天山山脈が見えて美しいそうです。残念!!
中国が亜細亜の中心であるという意気込みを現した施設であるとも言えます。まだ、工事中のところも多かったので、完成してから、天気のいい日に訪れてみたいものです。

夜は、李さんお勧めの店に行きました。これまた、小さな路地にあるのですが、すばらしい店で、中の造りも凝っています。中で、写真を撮ろうとしたら、撮影禁止ということでした。中央アジア風の内装で、店員さんは、欧州人と見分けがつかないウィグル人の方々です。衣装も中欧風です。ウィグル人が、改めて西から来た民であることを思い起こさせてくれます。この店の唯一の欠点は、お酒が飲めないことです。
席にすわったら、斜め向かいに、見るからに、映画に出てきそうなロシア人風のでっぷり太って毛皮をまとった夫婦がいました。と思ったら、一人で、ご夫人が入ってきて、シシカバブを大量に注文してむさぼっていました。異国です。
ここでは、シシカバブと、パー麺とポロという料理を食べました。ポロというのは、いためたご飯の上に、羊の肉やざくろの実や、大根のようなもの(チャマリ?)や、にんにくが、ぶっ掛け飯のように乗っているもので、これもまた、絶品です。
最後は口直しにヨーグルト。これも、プレーンなものに、好みの甘味を乗せて食べるもので、絶品。ざくろのジュースも飲みました。ウィグル料理は、おいしく、日本人の口に合うことは、間違いありあません。

天気が今一だったのは、残念でしたが、”亜州大陸地理中心”という訳のわからない観光地に行ったのは、正解でした。

Topへ 次ページへ前ページへシルクロードINDEXへ