西蔵七日  SEVEN DAYS IN TIBET

第二日 (Day 2)

今日から本番です。
早朝ホテルを出て、8時過ぎの飛行機に乗ると、10時前には、西安(長安)に着きます。
フライトは、海南(ハイナン)航空という新華航空グループの一社のようでしたが、B737で、特に問題もありません。客は7割くらいの入りだったでしょうか。最近は、荷物検査が厳しく、液体が入っているボトルも開けられてしまいます。飲料水を持ち込む場合、諦めてチェックインしてしまわないと、結局持って行った意味がなくなってしまいます。
北京から西安への飛行機からの眺めは、山にも木はあまり生えてないし、全体的に乾いているなという印象でした。ダムも見えましたが、水も少なく、河も枯れた感じのものが多く、乾いた台地が続いています。

西安に着くと、ジャさん(漢字は忘れました)というベテランガイド(ガイド暦10年)が迎えてくれました(運転手はシン"申”さんと言っていました)。

 始皇帝陵



まずは、西安市街に入るのではなく、市の北西方向にある空港から、市の北を素通りして、北東方向にある秦の始皇帝陵に行きました。

空港から出ると、まず目につくのが、畑のそこそこにある小山です。これらは、漢の時代に作られた古墳です(漢時代の皇帝、将軍の古墳が集中)。関西の人は、あまり違和感はないかもしれませんが、2000年前と現在とが同居している様子にまず驚きます。回りは畑ですが、小麦、桃、とうもろこし、柿、ざくろが、主な産物。2003年10月にできた空港と、道路ということで、真新しいですが、一方、化学工場もあり(春の気候のせいかもしれませんが)、ガスった感じもします。
途中で、渭河という比較的大きな河を横切ります。秦の時代、河の北のことを”陽”といい、”咸”は河と山(北驪山)が両方あるという意味で、秦の都であった(西安(かつての長安)からちょっと北西にはずれた)咸陽(かんよう)の呼び名の由来になっているということでした。

高速から出て、ちょっと一般道を走ると、秦の始皇帝陵に到着しました。といっても、この陵は高さ76m人工の小山です。元は、高さ115mだったと伝えられています。底辺の長ささは、350m四方位です。臨潼区に属します(ちなみに、中国では、省>市>県>区です)。言い伝えによれば、この陵は、70万人の労力を動員して37年かけて造られ、その中には、銅が敷き詰められ、水銀で河や池を作り、天井には、太陽や月などえの天文図が描かれたといいます。地下宮殿と呼ばれています。さぞ美しい光景だったでしょう。
墓を作った技術者達は、秘密を守るためにそのまま生き埋めにされたといいます。始皇帝が、来世も平和に生活できるようになっているらしいのですが、機が熟すまで、発掘は行わないそうです。発掘したら、またすごいのが出てくる確率が高いと思います。この陵自体も、隣の兵馬俑が見つかるまでは、本当に始皇帝陵であったかは、疑われていたそうですから、時の長さを感じます。

入り口とか、陵に登る道とか、その手前の展示物は整っていますが、所詮小山ではあります。頂上からの眺めは、畑がずっと続いているという感じです。ただ、やはり、”始皇帝陵を登らなければ、西安に来たということなかれ”という由緒ある場所であることは、間違いありません。道の傍らでは、いろいろ売っていますが、ガイドのジャさんは、ざくろを買っていました。この時期のざくろはいいのだそうです。

ここで、昼食となり、すぐ近くの観光客用のレストランに入りました。ビールは10元で、Landmark Premium Beer by Shanxi Landmark Brewary Co.ということで、おいしかったです(ビールは何でもおいしい)。美国的とありますから、味は、アメリカ風ということなのでしょう。大学芋風の芋も出ました。この辺は小麦地帯ということで、米を使った料理は少なく、麺、餃子がどうしても多くなるらしいです。さて、いよいよ、本日のメイン・イヴェント兵馬俑坑です。

 兵馬俑坑



始皇帝稜から、さらに、数キロ東に行くと兵馬俑坑があります。といっても、回りは整備されすぎて、駐車場からは、兵馬俑坑は見えません。駐車場を歩いて、門に入って、そこからトラムのようなものに乗るか(5元とのこと)、テクテク10分ほど歩くと、兵馬俑坑の入り口にやっとたどり着きます。途中で、地元の人が薪用と思われる木を運んでいくのに出会いましたが、顔がやたら赤かったので、ジャさんに聞くと、この辺りの農家の人は、皆日焼けもあり赤い顔をしているそうです。そりゃど田舎ですもん。駐車場近くでは、大きな始皇帝像とともに、ショッピングセンターらしきものがあり、観光地化の波が、間違いなく押し寄せているのがわかります(そこで、落ちるお金で、発掘なり保存が進むのであれば、歓迎ですが)。

はやる気を抑えながら、まず一号坑に行くと、期待通りのシーンが突如現れます。6,000体の兵士や馬達です。これらが、皆、2000年以上も地中に埋もれていて、誰も知らなかったというわけですから、驚きであるとともに、それを見れている我々は何とラッキーなんだと感じざるを得ません。東西200m、南北62m、深さ5mだそうです。兵士達は、180cm位で、200kgもあるそうです。表情も徹底的に写実的で、それによって、匈奴、蜀、西域等出身地も推測できます。
まずは、正面から見ることになりますが、それぞれの顔も、比較的よく見え、また、その全容の偉大さも感じられ、壮観です。元々、色も少し残っていたらしいですが、ここから見ると、その色はほとんどわかりません。たぶん、飛んでしまったものと思われます。そのため、後ろの方は、まだ、土をかぶせたままで、未発掘になっています。

これらの、兵隊の俑は、数メートル間隔に掘られた溝に並べられており、その上に、丸太の梁を並べ、その上に土がかぶされていたとのことですが、その丸太の梁が腐って、上の土が、兵馬俑の上にのしかかった状態で、発見されました。
正面から、左の方に歩いていくと、最初に見つかった場所が表示されています。漢の項羽が攻め入って、略奪を行い(火を放ったとも言われます)、その後、洪水等で、泥の中に没し、2,200年埋もれていたという訳です。

ジャさんによると、3人の農夫が井戸掘りをやっていて、その内の一人が、掘った穴に降りていって、何かを見つけたのがそもそもの始まりだそうです。1974年の話ですから、そんなに昔でもありません。3人とも中国のヒーローになったわけですが、ここに残っているのは、最初に穴に下りた人で、土産物コーナーで、カタログを買うとサインをしてくれます。楊(ヨウ)さんというおじいさんです(NHKの旧シルクロードにも楊さんは登場します)。クリントンさんと、握手しているパネルも展示されています。私が行った時は、昼休み中で会えませんでしたが、すでにサインをしてあったものを、譲ってもらいました。ただし、そんなに、国語に強い人ではなく、写真も基本的にはお断りをしているらしいです。他の2人も当然成功者となっているそうです。NHKの昔のシルクロードの番組で、この兵馬俑坑の発掘の様子が始めて、世界に紹介されました。
一号坑の後ろの方は、まだ、発掘途中の様子を展示してあり、溝にある兵馬俑は、こなごなで、これを、復元するのがいかに大変かということが、わかるようになっています。その後ろには、今復元中の兵馬俑が並べられています。

一号坑を出て二号坑に行くと、そこは、ほとんど未発掘で、これからという感じです。ここは、東西96m、南北84mとのことで、やや小振りです。発掘がかなり進んだ一号坑と、これからの二号坑という対比ということでも、興味深いものです。二号坑は、戦車、馬、騎兵、騎馬、歩兵の混成部隊で、これまたすごい迫力です。漢の舞台に燃やされたのではないかと言われている黒ずんだ部分がありますが、本当かどうかはわかりません。

二号坑の脇が、兵馬俑の展示コーナーになっていて、武人、文官、弓を引く人、馬を引く人、将軍等が展示されています。表情が、各々違う様子がよくわかります。靴(草履?)の裏に、スパイクのような、ぶつぶつがあったり、色がきれいに残っていたり、皆興味津々で、すごい人だかりでした。等身大と言われますが、実物よりやや大きいような気もします。当時から、文官が武人より偉かったとガイドさんは言っていましたが、本当でしょうか。

そこからまた出て三号坑に行きます。ちなみに各坑の入り口にある表示は、当時の漢字(隷書?)を使って書かれています。ここは、最高指揮部隊と言われているところで、かなり小規模ですが(東西18m、南北22m)、造りは一番凝っています。特に、馬の俑がすばらしいです。ここにも、まだ、未復元の俑が転がっていますが、首だけ抜けているものも多く、頭部と胴体部が別々に作られていた(焼かれた)ことがわかります。四号坑もありましたが、中は空っぽだったとのことです。
この3つのとてつもない規模の坑を見て、圧倒されない人はいないと思います。これらが、2,000年以上も前に造られ、それ以来埋もれて、忘れ去られていたとは。

ここから、最後の秦銅馬車展覧館に行きますが、ここには、始皇帝陵の西側で、1978年に発掘された銅馬車が展示されています。これは、実物の半分位の大きさで、兵馬俑が実物大かそれよりやや大きめに作られているのとは違います。ただ、銅で作られており、その精巧さ(3000以上の部品が使われていた)、生き生きとした馬や御者の様子には、ただただ、感嘆するしかありません。欧米に、この時代に、これに匹敵する美術品があるでしょうか。そのほかに、発掘された青銅製の武器類が展示されています。これらも、精巧なものです。

ということで、兵馬俑坑は、期待に違わぬすばらしいものでした。
建物が、もう一つありますが、基本的には、土産物屋です。
まず入り口のところで、カタログを売っていますが、兵馬俑を発見した楊(ヨウ)さんが、いればサインをしてくれます(前にも書きました)。その奥に、結構大きい土産物コーナーがあります。本格的なでかいものから、お土産サイズまでありましたが、私は、小さいのから、3番目くらいの五体セットを買いました。これでも結構豪華です。後で、ホテルで、兵馬俑のキーホルダーを買いましたが、これは、結構さびしいです。博物館内の値段は結構高いので、外で買った方が全然安いです。店の人が言ううには、ここで売っている兵馬俑は、ここの土を使っている本格派なのだそうです。銅馬車のお土産は、外で買いましたが、全然安かったです。どちらを取るかは、好みによるでしょう。

 華清池



スケジュールでは、その後、西安の大雁塔だったのですが、ジャさんに、華清池に行きたいと言うと、OKでした。華清池は、兵馬俑坑から、西安市に行く途中にあります。
時間的にタイトだったので、早歩きでしたが、(時代は、唐になりますが)ぜひ寄りたいところです(入場料40元)。元々、この土地は、驪山(れいざん)の麓の温泉地だったのですが、唐の時代、皇帝達が、奥座敷のように使ったため、どんどん温泉が掘られ、池が作られ、浴槽が作られ、泊まる建物が作られということで、今の姿になったようです。驪山は、始皇帝の焚書坑儒の舞台となった歴史のある場所でもあります。

玄宗皇帝が創建した離宮である華清宮の名から、華清池の名前で呼ばれています。玄宗皇帝は、ほとんど毎冬ここを訪れ、楊貴妃との日々をすごしたといいます。もちろんここも、発掘されたり、復元されたりしていますので、どこまでが、当時のままなのかというのは、わからないのですが、全体として、すばらしい場所になっています。
入るとまず、大きな池が目に入ります。そして、楊貴妃の美しい像が池のほとりに建てられています。楊貴妃は、やはり人気があるらしく、地元の人は、好んでその前で、記念撮影をしていました。池のほとりには、玄宗皇帝と楊貴妃が住んでいた建物(華清宮)がありますが、ちょっと新しすぎるような気がします。

そこから進むと海棠湯(かいどうのゆ)という温泉があり、ここが楊貴妃のお風呂だと言われているところです。発掘された温泉で、今は、湯は出ていませんが、デザインが、優雅で、もっともらしく思われます。
その奥には、玄宗皇帝の温泉(連華湯-れんげのゆ-)や、太宗皇帝の浴槽(太子湯)や、家来の浴槽が続きます。博物館のようになっている浴室には、秦の時代に、浴槽に使われていた木材なども展示されています。

楊貴妃が涼んだと言われる櫓があり、いい感じです(かなり眉唾です)。玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスを語るには、最適の場所でしょう。玄宗皇帝は、能力的に高い人だったようですが(碑林博物館の書を見れば、それだけでもすごいと思います)、楊貴妃に会ってから、いい意味でも悪い意味でも、大きく人生が変わって行きました。すばらしいラブロマンスになるはずだったのですが、結局楊貴妃を死刑にする羽目になりました。悲劇としかいいようがありません。
その奥には、まだ温泉の沸いているところやら、兵隊達の浴槽(足をこすって洗った穴まで残っている)やら、温泉に触れるコーナーやら(有料ではしょりました)、いろいろ楽しめます。毛沢東の書いた”長恨歌-白居易作-”も展示されていますから、毛沢東も玄宗、楊貴妃の話には、感銘を受けていたのでしょう。
華清池は、その後も温泉地として、栄え続けて、国共合作(国民党と共産党が抗争し、内戦状態であったのが、抗日という旗印の元、手を結んだ1936年の西安事件)のきっかけになった西安事件もここで、発生しました。

 大雁塔



次は、いよいよ西安市内に入って、大雁塔に行きます。西安といっても、唐時代の長安の街の一部でしかなく(1/9位になっているとのこと)、また長安時代の建物は、ほとんど残っていません(現在の西安の城門−高さ12m、周囲14kmの見事なもの-などは、明時代のものである)。この大雁塔は、今の城門の外の、南側にあります。当時の面影を残す、数少ない建造物で、西安の象徴的な存在であることに間違いありません。

西安の街は、流石大都会で、道も広いのですが、やはり内陸で、まだ、荷車や、自転車も混然一体となって動き回っている感じです。交差点では、失業対策からか、おまわりさんが、交通整理をやっています。女性の姿もズボン姿が多く、ほこりを静めるためか、散水車も走り回っており、渋滞もひどく、沿岸部の都市とは、ちょっと感じが違います。ただ、NHKの25年前のシルクロードのオープニングシーンで、見た古い町並みの面影はありません。

大雁塔は、元々、648年に、唐の三代皇帝である高宗が、母の文徳皇后を供養するために建立された大慈恩寺の塔でした。
その後の戦乱で、破壊と修復が繰りかえされましたが、この塔は、比較的原型を留めているといいます。立派なものです。境内には、もちろ大雁塔以外にも、大きな建物がたくさんあります。

この塔が有名なのは、なんといっても。、三蔵法師(玄奘)が、インドから持ち帰った経典(1,335巻もあったとのこと!)を納めるために、652年に建立されたということによるものです。現在は、四角七層(元は、5層だったり、7層だったりした)で、高さが64mあります。大雁塔の名も、玄奘の命名と言われています。雁の群れから地上に落ちた一羽の雁を菩薩とみなし、埋葬して塔を建てたといいます。
この大雁塔の周りも、昔は、何もなかったらしいですが、今は、公園が整備されました。私が、入った方(裏らしい)は、玄奘の像などがあって、皆が凧揚げなどをしていて、まだいいですが、正面の方は、現代的な噴水公園みたいになっていて、夜には、ライトアップがされるそうですから、やややりすぎのような感じもします。

塔の前にも、立派なお堂があります。塔に登るのは、別料金(20元)。はっきり言って、中はあまりすごいものはありませんが、眺めもいいし、一応登っておいた方がいいかもしれません。階段は途中まで、上り下りが別々ですが、途中から共用になります。途中、玄奘の雁塔の文などが、飾られています。てっぺんには、たぶん玄奘が経を納めたというようなことが書かれています。塔を降りて帰る途中に売店があったので、西安の象徴的な存在である大雁塔のお土産を買いました。クリスタルの角柱の中に、大雁塔の姿を3次元でデザインしたものですが、たぶん簡単にできるのでしょう。安かったです。電池を入れると、3色の電飾が怪しげに光るのはご愛嬌です。

塔を降りてから、また塔の前の公園を通りましたが、ジャさんが、子供に凧揚げを教えていました。何でも、最近の凧揚げは基本がなっていないとのことです。確かに、ガイドさんが子供のころは、凧揚げ以外に何もやることが無かったのでしょう。
ということで、シルクロードツアー実質第一日にふさわしい、すばらしい体験ができました。

明日は、飛行機の出発(午後)まで、スケジュールがなく、ジャさんにお願いして、西安市内を観光することにしました。せっかくですから(料金交渉もリーズナブルなところで、妥結)。

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